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zoom RSS Exhibition 横浜市歴史博物館 常設展「原始 I」

<<   作成日時 : 2015/06/15 08:49   >>

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横浜市歴史博物館常設展「原始 I」展示室の展示詳細


2015年6月10日
横浜市都筑区


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横浜市歴史博物館 常設展示室
http://hamacul.at.webry.info/201507/article_14.html







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常設展 原始 I 展示室




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原始 I


自然の恵みの中で生きる
約30,000〜2,400年前

先土器時代・縄文時代は、まだ農耕が生活の中心になる前の時代です。人々は海や川、野や山の自然の恵みに頼りながら、さまざまな道具を産み出し、生活を営んでいたのです。



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土の中に埋もれた歴史

この地層は、旭区の矢指谷遺跡からはぎ取ってきたものです。この遺跡では、今から20,000年以上も前に堆積した地層の中から、市域で最も古い人々の生活のあとがみつかりました。
日本列島に人間が住みはじめた13〜50万年前から、土器が使われるようになる約12,000年前までの間を先土器時代といいます。地層の長い生活の歴史が、いくえにも重なっているのです。


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大地に刻まれた最初の人の足跡
−先土器時代




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最初の生活のあと

先土器時代の人々は、獲物を求めて転々と移動を繰り返す生活を送っていたようです。そのため、一つの場所に長く住むための、しっかりした住居やムラを作る必要はありませんでした。当時の住居は、地表にあとの残らない、獣の皮などでできたテントのようなものだったと考えられています。
この石のまとまり(礫群)は、石を焼き、その熱を利用して調理をしたあとです。近くには人々が寝泊まりする住居もあったのでしょう。このような単純なものが、先土器時代の生活のあとなのです。




先土器時代(旧石器時代)

横浜では約3万年前(氷河時代の終わりのころ)から人が住みはじめました。
●自然環境は今とどのように違っていましたか?
●どんなものを食べていたのでしょうか?
●どうやって狩りや調理をしていたのでしょうか?


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横浜に海の無かったころ

約20,000年前の地球は、今より気温が4〜7度も低く、海の水が氷河となって大陸を覆っていたため、海面が現在よりも100メートル前後も低くなっていました。そのため現在の東京湾は陸地となっており、市域に海はありませんでした。
このころの市域には、寒い地方で育つ植物がはえた草原や森林が広がり、今では絶滅してしまったナウマンゾウや、ヤベオオツノジカ、ニホンムカシジカなどが棲んでいました。こうした自然のなかで、人々は狩猟を中心とする生活を営んでいたのです。


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生きる知恵が石器を生んだ

先土器時代の人々は、主に石の道具(石器)を使っていました。この時代の石器の多くは、打製石器とよばれる、石を打ち欠いて作ったものです。
それぞれ違った形をしているようですが、刃のつけ方などを細かく観察してみると、使い方に合わせて、いくつかの形に作り分けられていることがわかります。
人々は、このような石器によって、自分たちよりもずっと大きな獣を捕えたり、木や骨を削ったり、皮や肉を切ることができるようになったのです。


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豊かな森と海に生きる時代
−縄文時代




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森の移り変わりと土器の誕生

先土器時代も終わりに近づくと、気候がだんだん暖かくなり、約12,000年前には、日本列島の森林も、ドングリり類などの木の実が豊富に実る森林へと変化しました。しかし、これらの木の実は消化が悪いばかりか、中には渋みの強いものもあって、そのままでは食糧になりません。木の実を効率よく食べやすくするには、器に入れて煮ることが必要になります。
人々は煮炊きの道具である土器を手にすることによって、豊富な木の実を食糧にすることができるようになりました。


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縄文土器

横浜では約1万2千年前から土器の使用が始まります。土器を使うようになった人々の生活を学びましょう。
●土器はどんなことに使われましたか?
●気に入った形の土器やアクセサリーがありますか?
●花見山遺跡からはもっとも古い土器が見つかりました。その遺跡は何区にありますか?


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縄文土器の形と用途

土器の出現から、日本列島に水田稲作の技術が伝わるまでの時代を縄文時代といいます。そしてこの時代の土器を縄文土器とよんでいます。縄文時代は、土器の形や模様の特徴をもとにして、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つの時期に分けられています。
縄文土器は煮炊きの道具として現れましたが、やがて、人々の工夫によって、盛りつけ用のもの、液体を注ぐためのものなど、さまざまな土器が作られるようになりました。


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縄文時代の生活

縄文時代は、気候が暖かくなったことによって、森林の変化が進む一方、大陸を覆っていた氷河がとけ出して海に流れこんだため、海面が急激に上昇しはじめました。こうして市域にもたくさんの入江ができていきました。
縄文時代人の生活は、この豊かな森林と波静かな入江に支えられていました。当時のムラのあとや、ゴミ捨て場である貝塚を調べると、豊かな自然の中で当時の生活のようすをうかがわせる、さまざまなものが発見されます。


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貝塚

博物館の近くでも、縄文時代の貝塚がたくさん発見されています。気候は暖かく海岸線は現在と大きく違っていました。


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縄文時代のムラと墓

縄文時代の人々は、生活の拠点としてのムラを誕生させました。このことは豊かな自然の中で生きた人々が、先土器時代の人々に比べ、一つの場所に長く住むようになったことを示しています。
ムラには竪穴住居をはじめ、協同作業場や倉庫、住居などに使われた掘立柱建物が建ち、中央には広場や墓地がつくられていました。
縄文時代のムラのあとからは、時に100軒以上の住居跡がみつかります。これは、何百年もの間の住居跡が重なったためで、同時にあったのは10軒未満と考えられます。


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装いの道具と自然への祈り

縄文時代の遺跡空は、髪飾りや耳飾り、腕輪など、さまざまなアクセサリーが出土します。その多くは、少数の特別な女性たちが着けていたもので、全員がもっていたわけではなかったようです。
豊かな自然の中で生きていたとはいえ、自然の恵みに頼る生活は、時として不安定になります。そのため人々は、豊かな恵みを祈る、呪術や祭りを発達させました。アクセサリーを着けたのは、これらの呪術や祭りを司る人々だったのでしょう。


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縄文時代の人と物の流れ




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縄文時代の道を発見

縄文時代の道には、発掘調査でもなかなかみつけることはできません。それでも、谷戸の中の湿地などでは、丸太や木の枝を並べた木道(もくどう)がみつかることがあります。
都筑区の古梅谷(こうめや)遺跡からは、このような木道が発見されています。この木道は、西ノ谷遺跡にあった縄文時代後期のムラの人々が、狩りや漁に出かけたり、他のムラとの交流のために利用していたものと考えられています。縄文時代にも、人と物の流れる道が確かにあったのです。


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土器にみる他地域との交流

日本列島の各地を結ぶ道が整備されたのは、奈良時代以降のことです。しかし、そのような道のなかった縄文時代にも、人々はさかんに移動し、ムラからムラへ、人から人へと、ものや情報を伝えていたようです。
このような人と物の流れに乗って、さまざまな地域の影響を受けた土器が市域にもたらされました。時には、遠く離れた東北地方や中国地方のものによく似た土器が発見されることもあります。


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石材の流れ

石器やアクセサリーを作るための石は、どのような材質でもよいというわけではありませんでした。
鋭い刃を持つ道具の材料には、天然のガラスである黒曜石が、また、美しいアクセサリーを作るときにはヒスイが好まれていたようです。
これらの石材は、特定の場所でしか採ることができません。黒曜石は、神津島や箱根、長野県の八ヶ岳周辺、ヒスイは新潟県の糸魚川周辺に限られています。縄文時代の人々は、ムラづたいの交流でこれらの石材を手に入れていたのです。


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南堀貝塚の発掘

1955(昭和30)年の夏、都筑区の南堀(みなみほり)貝塚で発掘調査が行われました。この調査は、縄文時代のムラ全体を発掘するという、全国ではじめての試みでした。しかも、多くの市民が参加し、自分たちの手で横浜の歴史を発掘するという画期的なものでした。
南堀貝塚からは、その後行われた調査のものも含めて、50軒以上もの縄文時代前期の竪穴住居跡がみつかっています。使われなくなった住居の中や西側の斜面には、貝塚が残されました。また、ムラの中央には、たくさんのお墓がつくられていました。





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