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zoom RSS Exhibition 横浜市歴史博物館 常設展「近現代」

<<   作成日時 : 2015/07/30 15:33   >>

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横浜市歴史博物館常設展「近現代」展示室の展示詳細


2015年7月29日
横浜市都筑区


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横浜市歴史博物館 常設展示室
http://hamacul.at.webry.info/201507/article_14.html








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常設展 近現代 展示室




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近現代


変わり続ける横浜と市民
1859(安政6)年〜

 横浜の近現代には、開港とそれにともなう西洋文化の導入、震災、戦災、都市化などくらしを変えていく、さまざまなできごとがありました。こうした時代の動きの中で、人々は新たな横浜を創り続けています。


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勘工場「横濱館」

 勘工場とは、さまざまな品物を扱う商店が一つの建物の中に集まり、陳列販売を行ったところです。明治中期以降、東京や横浜などの繁華街に主につくられ、大きな勘工場では数百もの店が入っていました。
 これは伊勢佐木町でも有数の規模をもつ「横濱館」を想定復元したものです。内部には西洋雑貨、小間物、金物、文房具、袋物、玩具、時計、履物、絵双紙などを扱う商店や洋食屋が並んでいました。
 好奇心あふれる当時の人々は、この勘工場でさまざまな品物に触れることができたのです。


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世界と横浜の開港




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世界を結ぶ新しい技術

 1859(安政6)年、横浜は開港しました。
 18世紀の後半から19世紀にかけて、西洋で産業革命が進み、新しい技術や機械が発明され、世界の国々の関係が大きく変わりました。
 蒸気船や鉄道によって、多くの物資が早く運べるようになり、また電信によって、遠くておこったできごとがすぐに伝わるようになりました。世界を結ぶこれらの技術は、物資の流通をうばがし、世界規模で経済を発展させる原動力となりました。


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貿易港横浜の誕生

 19世紀の中ころは、西洋の国々が、さかんにアジアの地域との貿易を求めてきました。横浜をはじめ、上海、香港、サイゴン、シンガポール、カルカッタなど、アジアの各地に港が開かれました。
 横浜には貿易の中心施設として、イギリス波止場とフランス波止場がつくられました。海外からの物資や文化は、この波止場から日本各地へ運ばれ、また国内から集められた生糸や茶なども、ここを通って海外に運ばれました。


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貿易都市横浜を歩く

 港や居留地がつくられた横浜の街には、内外の各地から多くの人々が集まってきました。
 開港当初、吉田橋などには開港場の内と外を分ける関門が設けられ、その内側は関内、外側は関外とよばれました。関内には洋風建築の並ぶ居留地と日本建築の並ぶ本町通りなどがあり、貿易を求める商人の活動の拠点となっていました。関外には、伊勢佐木町や野毛町など、波止場や商店などで働く人々の生活や娯楽の場がありました。 横浜の街には、西洋の文化と日本の文化をあわせもったさまざまな表情がみられました。


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関外


伊勢佐木町通りの風景

 明治の後半、伊勢佐木町は日本一の繁華街といわれていました。最盛期には勘工場などの商店、食べ物屋、芝居小屋、寄席などが400あまりも軒を連ねていました
 人々がにぎやかさに魅せられて街を訪れるのは、今も当時も変わりません。人力車に乗って買い物にきた女性、芝居を見物にきた外国人の夫婦、子守奉公の娘、近郊で捕れた魚を売りにきた行商人など、職業や目的も異なった人々が行きかっていました。


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日本一にぎやかな街
伊勢佐木町通りの風景(明治時代)

明治時代の後半、伊勢佐木町は日本一の繁華街といわれ、最盛期には勘工場などの商店や食べ物屋・芝居小屋などが立ち並んでいました。この町のにぎやかさにひかれて、さまざまな人々が行きかいました。


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村のくらし

 市域の村々では、おもに農業や漁業を中心とした、昔ながらのくらしが営まれていました。やがて、くらしの中に、新しい文化や制度の影響が少しずつみられるようになりました。
 明治の後半には、子供たちが学校に通うことも定着しはじめました。人々の生活も、時間によって左右されるようになり、時計も普及してきました。家にはランプが灯り、夜なべで細かい作業ができるようになりました。また、野菜の出荷や肥料の入手などを通じた、市街地との交流も意外なほど活発でした。


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昔ながらの農業・漁業
村のくらし(明治時代から昭和初期)

村々では、おもに農業や漁業を中心とした昔ながらのくらしが営まれていました。明治の後半には、子どもたちが学校に通うことも定着してきました。村では、時計が少しずつ使われるようになり、新聞や雑誌を読む人も増えてきました。農家では、野菜や薪・炭などを出荷し、貴重な現金収入をえていました。


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変わる横浜のすがた


変わる横浜のすがたとくらし
横浜は現在、人口が300万人を超える大都市です。この100年の間に横浜のすがたとくらしのようすは大きく変化してきました。 1923(大正12)年には関東大震災、1945(昭和20)年には横浜大空襲がありました。1960年代からの高度経済成長期には海浜部の埋立やニュータウンの造成など、大規模な開発も行われ、そのすがたは大きく変わりました。 横浜にくらしてきた人々は、このようなできごとの中で今日の横浜を築いてきました。


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変わり続ける街・横浜
変わる横浜の姿とくらし(大正・昭和・平成)

現在の横浜は、360万人を超える人々がくらす大都市です。開港してから約150年間、横浜の姿と人々のくらしは、大きく変化してきました。
関東大震災や横浜大空襲があり、大きな被害を受けましたが、そのたびに人々は復興に向けて努力してきました。特に1960年代の高度経済成長期には、海沿いの埋め立てや住宅地の造成などの大規模な開発が行われ、人々の生活は大きく変化し、今日の横浜がつくられてきたのです。






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