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zoom RSS Old Days in Sankeien 三渓園 昔むかし

<<   作成日時 : 2016/06/30 09:31   >>

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三渓園 昔むかし



三渓園の昔と現在



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01 桜道 [ 記事 ]


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02 明治末頃の園内 [ 記事 ]


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03 大正初期頃の園内 [ 記事 ]


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04 原家初代・原善三郎銅像 [ 記事 ]


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05 原家の住居・鶴翔閣の全景 [ 記事 ]


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06 大正はじめ頃の御門 [ 記事 ]


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07  納涼台 [ 記事 ]


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08 海岸 [ 記事 ]


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09 御谷館 [ 記事 ]


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10 造成中の内苑(大正10年頃)

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11 聚星軒 [ 記事 ]


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12 松風閣 [ 記事 ]


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13 寒月庵 [ 記事 ]


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14 初音茶屋と寒月庵 [ 記事 ]


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15 初音茶屋 [ 記事 ]


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16 横笛庵内に安置されていた横笛の像

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17 寒霞橋と横笛庵 [ 記事 ]


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18 松風閣の別景 [ 記事 ]


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19 六角堂 [ 記事 ]


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20 田舎家 [ 記事 ]


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21 月影の茶屋 [ 記事 ]


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22 待春軒 [ 記事 ]


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23 待春軒より横笛庵、六角堂を望む [ 記事 ]


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24 皇大神宮 [ 記事 ]


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25 皇大神宮から楠公社への道 [ 記事 ]


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26 夕日ヶ岡と稲荷社 [ 記事 ]


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27 杉の茶屋 [ 記事 ]


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28 楠公社と観心橋 [ 記事 ]





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三渓園昔むかし 8 海岸 当時沖からこのあたりの陸地を望むと、海に向かって開く3つの谷、一之谷・二之谷・三之谷が確認できた。三渓園は、現在でも地名として残る、三之谷に造られたことによる名称である。 開港以降、横浜は多くの外国船が行き交う国際的な港として発展したが、そのすぐそばにありながらも三渓園界隈の海岸では昔ながらの漁や海苔の養殖などが依然行われ、日常の人々の生活風景がそこにあった。昭和30年代までは帆掛舟の姿も見られた詩情豊かな海であった。 ...続きを見る
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三渓園昔むかし 12 松風閣 初代・善三郎が別荘として明治20年ごろに築造した建物で、その名称は伊藤博文によるものである。写真はレンガ造の玄関部分で、窓などに中国風の意匠が見られる。断崖に立ち東京湾の絶景を望むことができる松風閣は、三渓の代となり本邸・鶴翔閣が建てられると、重要な客をもてなす、いわゆるゲストハウスとして増築がなされた。大正5(1916)年には、アジア人初のノーベル賞受賞者であったインドの詩人・思想家のラビンドラナート・タゴールがアメリカへの講演旅行の途中、ここ... ...続きを見る
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三渓園昔むかし 2 明治末頃の園内 桜花のころの桜道。道の両側には、桜の時期にあわせて設けられたものだろうか、雪洞(せつどう)が並んでいる。今では車の往来で遠慮がちに立っている桜の木も、当時はその名のとおりの主役であった。華やいだ中にも、どこか昔ののどかさを感じさせてくれる写真である。 ...続きを見る
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三渓園昔むかし 4 原家初代・善三郎の銅像 善三郎は、三渓の妻・やすの祖父にあたり、原家(屋号 亀屋)の礎を築いた人物。 ”横浜は良きも悪しきも亀善のはら一つにて事決まるなり”と、当時巷間でその繁栄ぶりがうたわれたとおり、幕末期以降生糸の売込で成功をおさめ、一躍横浜の有力者となった。この像は善三郎没後の大正元(1912)年、その顕彰のために三渓が、当時彫刻家・高村光雲門下の俊才として知られていた米原雲海(1869-1925)に依頼してつくらせたものであったが、大正12(19... ...続きを見る
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三渓園昔むかし 5 原家の住居・鶴翔閣の全景 鶴翔閣は、三渓が明治35(1902)年に住まいとして築造したもので、三渓園の造園はまさにここを足がかりに進められた。現在ある建物は、改変著しかった状態を平成12(2000)年創建の姿に復したものである。 当時は生け垣もなく、内部の生活の様子が一般来園者の目にさらされている状態であった。数多くの貴重な古美術を所蔵し芸術家たちの支援者でもあった三渓のもとには常に文化人が国内外から出入りし、個人の住宅とはいえ、鶴翔閣も開かれた場であっ... ...続きを見る
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2016/07/04 08:04
Old Days in Sankeien 6 三渓園昔むかし 6 大正はじめ頃の御門
三渓園昔むかし 6 大正はじめ頃の御門 内苑は、戦後に初めて一般公開されたエリアで、それまでは原家の私庭として、一般には立ち入れなかった。よって当時三渓園のみやげ物として売り出された絵はがきにも内苑の写真はほとんど見られない。 御門は、当時”桃山御殿門”あるいは”桃山御門”と呼ばれ、これは奥の臨春閣が豊臣秀吉築造の桃山建築・聚楽第(じゅらくだい)の遺構とされていたことによる呼称であった。戦後、臨春閣は江戸初期に建てられた紀州徳川家の別荘”巌出御殿(いわでごてん)”と判明した... ...続きを見る
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2016/07/04 08:32
Old Days in Sankeien 13 三渓園昔むかし 13 寒月庵
三渓園昔むかし 13 寒月庵 三渓が所有していた製糸場の一つ栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。かつては江戸の十人衆の一人といわれた赤穂藩出入りの豪商・川村伝左衛門(迂叟)が所有していた草庵で、元禄の頃(18世紀)には忠臣蔵で有名な大石内蔵助がたびたび遊んだといわれる。 昭和26(1951)年伊豆山の旅館に移され、現在跡地にこの林洞庵が建てられた。 ...続きを見る
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2016/07/04 09:27
Old Days in Sankeien 14 三渓園昔むかし 14 初音茶屋と寒月庵
三渓園昔むかし 14 初音茶屋と寒月庵 ...続きを見る
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Old Days in Sankeien 15 三渓園昔むかし 15 初音茶屋
三渓園昔むかし 15 初音茶屋 開園当時、三渓園には誰もが自由に出入りできたばかりでなく、無料の湯茶サービスもあった。その場所の一つがこの初音茶屋である。中央の炉に煤竹の自在かぎで吊るされた真っ黒な鉄瓶には絶えず湯がたぎり、白湯に米・小麦粉を煎って香ばしくした香煎を入れたものや温かい麦茶がふるまわれたという。大正4(1915)年三渓園を訪れた芥川龍之介は、友人であった三渓の長男への手紙にこの湯茶接待の印象を書き、”ひとはかり浮く香煎や白湯の秋”という句を詠んで締めくくっている... ...続きを見る
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Old Days in Sankeien 16 三渓園昔むかし 16 横笛の像
三渓園昔むかし 16 横笛庵内に安置されていた横笛の像 横笛は今から800年程前、平 清盛の娘・建礼門院徳子(高倉天皇の中宮)に仕えた女官で、平家物語には平 重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋が語られている。この像はその横笛が滝口入道から送られた恋文をもって作ったと伝えられたが、現存しない。なお、横笛が出家後に住んだといわれる奈良・法華寺にも同様の像が伝わっているが、関わりなどは不明である。 ...続きを見る
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2016/07/04 10:14
Old Days in Sankeien 17 三渓園昔むかし 17 寒霞橋と横笛庵
三渓園昔むかし 17 寒霞橋と横笛庵 奥に見える茅葺きの建物は、今ではもう失われた待春軒。手前の風景は現在もほぼ変わっていないが、横笛庵の屋根の頭頂部には植物を植え付けた”芝棟”と呼ばれるしゃれた演出が施されている。 芝棟は、山梨県から関東・東北地方にかけてみられるもので、三渓園ではアヤメ科のイチハツなどを植えていたようである。横笛庵は、落飾した(尼姿の)横笛像を安置した詫びた草庵風の建物だが、芝棟にイチハツの花が咲く初夏の一時期、あたかも髪飾りをつけた清楚な女性を思わせる... ...続きを見る
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2016/07/05 00:51
Old Days in Sankeien 18 三渓園昔むかし 18 松風閣の別景
三渓園昔むかし 18 松風閣の別景 松風閣は当初、原家初代・善三郎が別荘として建て、三渓の代となってさらに増築が重ねられた。その規模は、本邸・鶴翔閣をしのぐものであったといわれるが、惜しくも関東大震災で倒壊、現存しない。ここから見上げるその姿は、和風木造建築が大部分で、No.12のレンガ造の玄関邸とはだいぶ異なっている。この一部に三渓の支援を受けた日本画家・下村観山の障壁画「四季草花図」の描かれた”観山の間”があった。 その名のとおり、まさに松林の中にたたずむ建物である。 ... ...続きを見る
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Old Days in Sankeien 19 三渓園昔むかし 19 六角堂
三渓園昔むかし 19 六角堂 正式には”望仙亭”と称されたあずまやで、海や庭園内が見渡せるよう、この付近の高台に建てられた。その形状と崖上に立つ姿は、中国の山水画を思わせる風情である。当時園内には、このほか2ヵ所に同様の建物があったが、いずれも現存していない。 ...続きを見る
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2016/07/06 08:07
Old Days in Sankeien 19 三渓園昔むかし 20 田舎家
三渓園昔むかし 20 田舎家 石置き屋根の古民家で、由緒は不明。障子に古い証文や暦、子どもの手習いの反故紙を用い、入口には箕笠や鍬などを掛けるなど建物自体に趣向が凝らされていたばかりでなく、周辺にも季節の野菜を植えた畑や竹林、鶏を入れた籠や井戸などを配し、田舎の生活を疑似体験できるような演出が随所に盛り込まれていた。 こうした田舎家の鄙びた風情は、三渓が最も好んだものの一つで、来客があった場合などにその接待に使われ喜ばれた。 ...続きを見る
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2016/07/06 08:22
Old Days in Sankeien 21 三渓園昔むかし 21 月影の茶屋
三渓園昔むかし 21 月影の茶屋 屋根は杉皮葺きであろうか、隣接した田舎家の風情にあわせた簡素な建物である。詳細は不明であるが、園遊会などの際に茶の接待などに用いられたものと考えられる。明治41(1908)年の新聞(横浜貿易新報)記事によれば障子に”白露の里 月影の茶屋”と記されているとある。今ではこの月影の茶屋も田舎家もその姿はなくなってしまったが、周辺の山里の風情は変わらずにいる。 ...続きを見る
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2016/07/06 08:35
Old Days in Sankeien 22 三渓園昔むかし 22 待春軒
三渓園昔むかし 22 待春軒 寒月庵(No.13)と同じく、もと江戸の豪商 川村伝左衛門(迂捜)が所有していたもので、栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。場内にあった明治12(1879)年には、アメリカ合衆国第18代大統領を務めたユリシーズ・S・グラント(1822-1885)が日光滞在中のある日ここに遊び、昼食をとったという。 三渓園に移築後、この建物には”御やすみ、お茶御随意 待春軒”という案内書きがつけられ、初音茶屋(No.14)と同じ湯茶の接待を行っていた... ...続きを見る
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2016/07/06 08:52
Old Days in Sankeien 23 三渓園昔むかし 23 待春軒より横笛庵、六角堂を望む
三渓園昔むかし 23 待春軒より横笛庵、六角堂を望む ...続きを見る
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2016/07/06 13:17
Old Days in Sankeien 24 三渓園昔むかし 24 皇大神宮
三渓園昔むかし 24 皇大神宮 寒月庵(No.13)、待春庵(No.22)とともに栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。三渓園は、梅・桜のほかに秋草の名所としても知られ、秋にはこの皇大神宮の石段の上からフヨウやオミナエシ、ハギ、ススキなどの花野が眼下一面に眺められたという。 昭和20(1945)年、空襲の爆撃により消失。現在、鳥居や石段・灯籠の一部が残るのみである。 ...続きを見る
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2016/07/06 13:50
Old Days in Sankeien 25 三渓園昔むかし 25 皇大神宮から楠公社への道
三渓園昔むかし 25 皇大神宮から楠公社への道 園路の傍らにベンチ2基が置かれ、その背後の山すそにはススキやノギクなどが咲き乱れる。季節は秋である。三渓園の秋草は、遠く群馬県高崎から取り寄せられたもので、見ごろの季節にはこの風情を味わいに訪れる来園者も少なくなかった。 ベンチの脚にデザインされた”丸に花菱”は原家の家紋である。 ...続きを見る
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2016/07/07 01:13
Old Days in Sankeien 26 三渓園昔むかし 26 夕日ヶ岡と稲荷社
三渓園昔むかし 26 夕日ヶ岡と稲荷社 夕日の射す時刻に美しいながめが見られることからの名であろうか。山の斜面の中腹には稲荷社の鳥居が見える。稲荷社は、由緒など不明で空襲により消失したのか、現存しない。 ...続きを見る
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2016/07/07 01:27
Old Days in Sankeien 27 三渓園昔むかし 27 杉の茶屋
三渓園昔むかし 27 杉の茶屋 名のとおり、屋根ばかりでなく壁面にも杉皮が張り込まれた建物。柱や梁などの木部も皮付きの杉材が用いられていたようで、写真からも野趣に富んだものであったことが想像される。詳しくは不明であるが、休憩所として、また催事などの際に茶の接待所などとして用いられたものであろう。空襲の爆撃により消失。 ...続きを見る
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2016/07/07 01:43
Old Days in Sankeien 28 三渓園昔むかし 28 楠公社と観心橋
三渓園昔むかし 28 楠公社と観心橋 楠公とは、南北朝時代の武将・楠 正成のこと。社殿の建物は、もと大坂・観心寺にあったもので、楠 正成が建武元(1334)年に建立、自らの守護神・牛頭明王を祀ったと伝えられた。三渓園へ移築後は、高村光雲門下の彫刻家・米原雲海作の楠公の木彫像が安置されていたが、空襲の爆撃により社殿と楠公像はともに失われた。現在の天満宮の鳥居脇にある欠け落ちた狛犬は、楠公社があった頃からのもので空襲による破壊の痕が生々しく残されている。 手前にかかる橋は観心橋... ...続きを見る
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2016/07/07 02:05
Old Days in Sankeien 9 三渓園昔むかし 9 御谷館
三渓園昔むかし 9 御谷館(おやつかん) 御谷館は、もと鎌倉・鶴岡八幡宮境内に併存していた神宮寺の僧房であったといわれる建物。明治41(1908)年に移築され、来園者の休憩用にあてられたようであるが、詳しくは不明。大正4(1915)年に焼失した。 ...続きを見る
blog横濱の文化探訪
2016/07/07 14:07
Old Days in Sankeien 10 三渓園昔むかし 10 造成中の内苑(大正10年頃)
三渓園昔むかし 10 造成中の内苑(大正10年頃) 当時一般に公開されていたのは、現在の外苑部分で、内苑は原家のプライベート・エリアであった。写真では公開部分との境に仮説の塀が設けられ、その向こうに資材置き場であろうか、簡易な建物が見える。土塁を経て中央の臨春閣から上方にのびる瓦屋根は、源 頼朝の木像(現在は東京国立博物館所蔵・重要文化財)を安置した源公堂と、月華殿までの石段上に設けられた回廊の姿である。いずれも戦時中に取り払われ、現存しない。 ...続きを見る
blog横濱の文化探訪
2016/07/07 14:19
Old Days in Sankeien 11 三渓園昔むかし 11 聚星軒
三渓園昔むかし 11 聚星軒(じゅせいけん) 竹を編みこんだ壁など、中国風の意匠が特徴の建物。明治20(1827)年ごろ、松風閣とともに原家初代・善三郎が築造したもののようであるが、大正12(1923)年の関東大震災により倒壊し、現存しない。 周辺には、中国で産する太湖石の石組みなどが今も残り、善三郎の中国趣味の一端がかいま見える。 ...続きを見る
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2016/07/07 14:27
Sankeien Garden 横浜探訪 三渓園
横浜探訪 三渓園 ...続きを見る
blog横濱ぶらり探訪2
2017/03/01 07:52
Sankeien Garden 三渓園 探訪一覧
三渓園 探訪一覧 概要  四季折々  自然観察会  催事  その他 ...続きを見る
三渓園探訪
2017/03/19 17:09

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