[転載] 横浜中華街「最古の写真」 1874年以前、オーストリア写真家が撮影か

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横浜中華街「最古の写真」 1874年以前、オーストリア写真家が撮影か


 横浜市の山本博士さん(50)が昨年入手した横浜中華街の古写真が明治時代初期に撮影されたものだと判明した。1880(明治13)年ごろに同じ場所を撮影した写真が最も古いと考えられていたものの、これをさかのぼり74年以前に撮影されたとみられる。鑑定した専門家は、当時横浜に住んでいたオーストリア人写真家、ライムント・フォン・シュティルフリート(1839~1911年)が撮った可能性が高いとみている。

 山本さんは市内で洋菓子店を経営する傍ら、1859年の横浜開港後の歴史に関心を持ち、当時の古写真や絵はがきを十数年前から収集してきた。コレクションは約700点に上る。

外国人居留地165番地を撮影
 今回の古写真は当時の前橋町通り(現中華街大通り)と本村通り(現開港道)に分岐する角地に当たる外国人居留地165番地を撮影したもの。昨年5月に米国の骨董(こっとう)品店が売り出していたものが「中華街っぽくないおもしろい写真」と山本さんの目に留まった。

 台紙の裏には「1874年5月27日」という英語表記がある。横浜の古写真研究の第一人者で横浜開港資料館(横浜市中区)の元調査研究員、斎藤多喜夫さん(72)によると、中央の建物の右側に並んだ「祥泰両替所」、製本屋の「Nam Sing」、靴屋の「Wo Hing」、建築業の「Chew」、写真館の「横浜展雲影相舗」が営業していた時期と合致するという。しかも、骨董品店が出品票に記載していた「Hung Cheong」は横浜展雲影相舗の経営者だった。

 ただ、74年が撮影日を指すのか、所蔵者が入手した日なのかは今となってはわからない。

ガス灯整備前に撮影
 同じ165番地を撮った80年ごろの古写真にはガス灯がある。斎藤さんによると、外国人居留地でガス灯が整備され始めたのは74年。山本さんの古写真にはガス灯がなく、この点も74年以前に撮影されたことを裏付けている。

 開港後の横浜で中国人は商人や職人として活躍した。横浜在住の中国人は、清国領事館開設の翌79年に2245人に達し、居留外国人の6割を占めた。今回の古写真からは華僑社会の形成過程の一端がうかがえる。

 斎藤さんはさらに、撮影者をシュティルフリートと推測する。①写真の下にタイトル(この写真ではYOKOHAMA)を入れる②画面のほぼ中央で水平の線を強調する――のはいずれもシュティルフリートの作風だからだ。

英研究者「この写真は非常にレア」
 シュティルフリートは、横浜で長年暮らし、多くの写真家に影響を与えたフェリーチェ・ベアト(1832~1909年)から写真術を学んだとされる。斎藤さんが英セントアンドルーズ大の写真史研究家、ルーク・ガートラン氏に問い合わせたところ、「この写真は非常にレアだ。シュティルフリートと断定はできないが、写真には彼のクオリティーがある」とメールで回答が届いた。

 毎日新聞は神奈川版で、山本さんが集めた古写真を斎藤さんが解説する「横浜古写真巡り」を2019年4月から連載中。165番地の古写真は斎藤さんが最近、分析した。山本さんは「斎藤先生が気づいてくださらなかったら、価値はわからなかった。ぜひ多くの人に見てほしい」と話し、横浜開港資料館への寄託を考えている。

 165番地は現在の中華街朝陽門(東門)から入ってすぐの地点で、角地は神奈川県警加賀町署山下町交番になっている。新型コロナウイルスの感染拡大前は、多くの観光客でにぎわっていた。【中田卓二】

写真
横浜中華街で撮影された写真としては最古のものと分かった写真。ガス灯がなく1874年以前に撮影されたとみられる=山本博士さん提供

出典

横浜中華街「最古の写真」 1874年以前、オーストリア写真家が撮影か
https://mainichi.jp/articles/20200723/k00/00m/040/185000c?fbclid=IwAR2wKqGKOolixzKruPvhA-HiQZif___s3GKx9s2P8Vu024ZaHSvz7IdPF8s


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